うるしを新産業に

「うるし(=JAPAN)」を、科学的手法で現代の新産業に。

漆は日本の文化や生活に、古くから関わってきました。縄文時代に漆を使って作られたものは、皿や壺のように日常的に使用する食器だけでなく、櫛や腕輪などの装飾品や、狩りに使用する武器など多岐にわたります。時代が進むと漆は寺社仏閣・仏像、武士が身に着ける鎧や兜にも使われ始め、機能性だけでなく、美術品としての価値も見出されていきました。その美しさはマリー・アントワネットを魅了し、国際的に高く評価されています。日本文化の発展に、漆は欠かせない存在だと言えるでしょう。

しかし現代の日本において、漆製品を目にすることは少なくなりました。「漆器」とは本来天然漆のみを使用して塗装されたものを指し、それ以外の塗料を使ったものは「合成漆器」と呼ばれるのですが、今や人々にとって「漆器」も「合成漆器」も同じものです。漆よりも乾燥が早く使いやすい低コストの塗料は、器の大量生産を可能とし、日常生活に欠かせないものとなっています。

では、漆はもう必要ないのでしょうか?それは否です。漆の美しい艶、千年単位で存在できる耐久性、年を経るごとに味わい深くなる色合いは、他のどんな塗料も再現できないものです。ですが、漆の木を増やすのにも伝統的な職人技術を継承する人材を育てるのにも、時間とコストが掛かります。乾燥に時間が掛かるのも、漆が敬遠される一因でしょう。 逆に言えば、これらの点をどうにかすれば、漆の使用率は上がるのではないでしょうか。時代に合わせて漆の用途が変化拡大していったように、漆の採取・精製の技術にも革新が必要です。科学的アプローチや最新の技術を用いて漆の抱える問題を解決すれば、漆を更に幅広い分野で活用することも可能なはずです。

いわて漆テックは、漆の不変の価値を信じています。時代の変遷に応じて変わるべきところは柔軟に変化を受け入れつつも、漆独特の美点は決して損なわれてはなりません。これからも人の生活と漆文化の発展に貢献するため、高品質な漆の生産技術を様々な角度から研究し、技術開発・革新を行ってまいります。

運命の出会いから天命の事業へ いわて漆テックの設立STORY

始まりは一通のメールから

2019年3月、私どもが運営するNPO法人日本伝統文化振興機構に海外から一通のメールが届きました。
それは、このような内容のものでした。

「韓国の李福律と申します。現在、私は釜山大学で教授として働いており、来年(2020年)の2月に退官します(※)。日本語と英語が話せますので、退官後岩手の和紙工房で和紙作りを学ぶために、ボランティアとして働きたいと思っています。韓国語と英語で旅行客のガイドをすることも可能です。」
(※)2025年まで釜山大学に在籍。

30年越しの漆にかける思い

私どもからすぐに返信すると、李教授からとても丁寧な自己紹介メールが返ってきました。

1981年に釜山大学で薬学の修士号を取った後、1982年から86年まで日本の文科省奨学生として大阪大学で博士課程に取り組んだこと。4年間の滞日中、科学的・生物学的に素晴らしい技術である和紙と漆製品の制作技法に興味を持ったが、学術研究に忙しく学ぶ時間がなかったこと。

大阪大学での博士課程修了後、米ジョンズホプキンズ大学での2年間の博士研究員を経て、1988年より30年以上釜山大学で教鞭を取ってきたが、その間もずっと和紙と漆製品の制作技法を学びたいという思いを温め続けてきたこと。

いわて漆テックの使命

和紙と漆製品の産地は日本中にありますが、李教授が最初のメールで「岩手」と地域を指定したことがいわて漆テック株式会社の設立が運命的なものだったのかと思います。なぜなら、弊社社長である及川の出身地が岩手県で、岩手県は日本漆の最大の生産地である浄法寺(二戸市)を擁しているからです。

及川は2019年7月の李教授の来日に合わせ、一関市にある東山和紙と二戸市の漆産業課と市の運営する漆工房滴生舎を案内することにしました。この時の岩手訪問により、李教授の30年越しの学究にかける思いと、社長の20年以上にわたる伝統文化の振興に対する熱意とが化学反応を起こし、いわて漆テックという企業として形になるに至りました。

出逢いとは必然であるとも言いますが、いわて漆テック株式会社の設立はまさにそれを実感させるものでした。私どもは、この事業を天命として、日本の漆産業を後世にわたり発展させるとともに、地域産業の振興に役立つ企業として邁進してまいります。