製法・基準
伝統工芸産業における漆精製新技術への転換
1.はじめに
漆は古来より用いられてきた天然素材による塗料である。漆の歴史は古く、日本においては弥生時代の出土品にも漆を使用した武具や容器などがある。
漆樹液は、脂質成分であるウルシオール、ゴム質(多糖体)、ラッカーゼ酵素、含窒素物からなる複合体である。漆は温度20〜25℃、湿度70〜75%の高湿度で凝固して塗膜を形成する。ラッカーゼ酵素がウルシオールの酸化を促進し、そのウルシオールが空気中の酸素によって酸化重合することで強固な塗膜を形成する。
漆掻き職人が漆木から採取した樹液を「生漆(荒味漆)」という。この荒味漆から木屑や漆掻き時に混入した異物をろ過して取り除いたものを「生漆(濾味漆)」という。「濾味漆」を攪拌機で粒子を均一かつ均等にし、加熱攪拌機で水分量を3%程度に除去する工程を「漆精製」という。この工程は、粒子を均一かつ均等にする「なやし工程」と、水分を除去する「くろめ工程」がある。この工程を経てできた漆を「精製漆」という。
漆は工芸品、漆器、美術品などに伝統的に使用される天然素材の塗料であるが、塗料として使う漆は、「精製」加工を経た精製漆(透漆)が使用される。漆の品質の優劣は「精製工程」の効率性、科学的合理性に強く影響を受け、製品価格は原料価格、工程の効率性、生産性に大きな影響を受ける。
我々は、生漆の粒子を均一かつ均等にする「なやし工程」と、水分量(17〜30%)を3%前後に除去する「くろめ工程」を、従来の「攪拌・加熱攪拌方式」から「擂潰および減圧蒸留方式」に転換する新技術を開発した。これにより、作業効率の飛躍的向上、高品質、高再現性、低コストの製造を実現した。
2.精製漆の最適水分量の特定
精製漆の水分量は3%が適切とされる根拠は以下のとおりである。
漆の硬化は、ウルシオールが空気中の酸素と反応して起こる酸化重合によるものである。この時、ラッカーゼ酵素はウルシオールの酸化重合反応を促進する役割を果たす。このラッカーゼ酵素の反応促進には適度な水分が必要であり、水分が少ないとラッカーゼ酵素の活性は弱く、硬化時間の長い漆となる。水分が多すぎると、ラッカーゼ酵素の活性は強く、硬化時間の短い漆となる。これまでの観察経験値、実証実験、および長年にわたる職人の使用感データの集積により、3%前後の水分量でラッカーゼ酵素は最適な活性を示し、均一な酸化重合反応が促進されることが確認されている。
当社実験においても、水分量3%の時、粘度、光沢、硬度、硬化時間が最適であるという結論になった。また、先行研究などにおいても透漆は透明性が最も重要ファクターであり、硬化時の気泡発生を抑制できる3%が経験的にも最適値とされている。
インキュベーターを用いて、湿度70〜80%、温度20〜25℃の環境下で水分量3%の漆を硬化観察した結果、硬化時間および硬度は共に既定値内であった。
3.塗料としての漆特徴
漆は自然素材であるため環境に優しく、乾燥が早く、美しい仕上がりが得られ、耐久性があるため、伝統工芸や美術作品に広く使用されている。
その主な特性は以下の通りである。
- 天然の高分子塗料で、ウルシオールを主成分とする自然樹脂液塗料である。
- 湿度と温度により硬化する性質を持つ(酸化重合反応で硬化する)。
- 硬化後は強固な塗膜を形成し、耐久性・耐水性・耐酸性・耐アルカリ性に優れ、美しい光沢と深みのある色調を持つ。
- 接着力が強く、木材や金属などさまざまな素材に密着する。
- 防腐・防虫効果があり経年変化により色艶が増し、美しさが深まる。
- かぶれの原因となるウルシオールを含むため取り扱いに注意が必要。
4.従来の漆精製法
生漆(濾味漆)は、中国産漆では水分量25~30 %、国産漆で15〜17%を含み、エマルジョン状態で、粒子径が数10μmと大きく、粘度が低く、光沢の低い樹液である。漆の精製は、この樹液のエマルジョン粒子を均一かつ均等に、水分量は3%前後に除去し、1、粘度を高める、2、光沢(艶)を高める、3、硬化時間を短くする作業をいう。
漆の精製では「なやし工程」で「漆エマルジョン粒子の微細化、均一かつ均等」にし、「くろめ工程」によって漆の「水分量は3%まで除去」され、透明感があり粘度が低く光沢(艶)が高く、硬化時間の短い精製漆(透漆)ができる。
4−1 なやし工程
「なやし」は、生漆(濾味漆)を攪拌容器(樽)に入れて攪拌回転羽根を回転させて攪拌する。この攪拌で漆エマルジョン粒子を「微細、均一かつ均等」にして粘度、光沢を調整する。「なやし」は数時間程度行う。漆エマルジョン粒子が微細、均一かつ均等になったかは精製職人の長年の経験と勘による判断である。
4−2 くろめ工程
「くろめ」は、なやし工程で攪拌された生漆(濾味漆)の水分(27%前後)を3%程度に除去する。「くろめ」は、攪拌容器(樽)に濾味漆を入れて攪拌回転羽根を回しながら上部熱源で加熱(45℃以下)しながら徐々に水分除去する。この作業は6〜8時間かかる。加熱温度が50℃以上になるとラッカーゼ酵素の活性は失われ硬化しにくい漆ができる。加熱温度が低いと作業時間が長くなる。漆中の水分量は、漆精製職人の経験と勘によって透明感や粘度により判断される。
5.従来の漆精製の問題点
従来の漆精製における各工程、および全体の共通課題は以下の通りである。
5−1 なやし(攪拌工程)の問題点
- なやし工程の作業は熟練職人で長時間を要す。
- 作業判断(透明感・粘度、作業時間調整)は熟練職人の経験と勘に依存する属人的判断である。そのために品質、作業時間にバラつきが生ずる。
5−2 くろめ(加熱攪拌工程)の問題点
- くろめ工程の作業は、熟練職人で連続的に6時間〜8時間の長時間を要す。
- 加熱温度(45℃以下)の管理、水分量と透明感の観察、作業終了判断は熟練職人の経験と勘に依存する属人的判断である。そのため品質の均一性、再現性に欠け、品質の基準化ができない。
5−3 従来の「攪拌・加熱攪拌」の精製工程の共通の問題点
- 人的作業が長時間労働を要し労働生産性が低い。
- 作業環境は決して良くない。
- 精製作業が熟練職人の経験と勘に頼る属人的なものである。
- 品質の安定性・再現性が低い。
6.擂潰・減圧蒸留法による漆精製新技術
漆の精製法は、天日精製、加熱攪拌方式、MR法とある。天日精製と加熱攪拌方式は古くからある伝統的な精製法である。MR法は1990年後半に登場した機械装置(3本ロールミル)による製法である。しかし、従来の精製技術は、熟練職人の属人的技術に依存するので、品質にバラつきがあり低再現性、生産性の低さが課題であった。
こうした長時間労働、属人化、品質のバラつきを解消するため、本技術を開発した。漆精製新技術は、漆を科学的に分析し、その精製工程の合理性、効率性、品質の安定性、高再現性、標準化、科学的品質管理を行い、品質向上と生産性を高めるものである。生産コストの削減を実現し販売価格を抑制するものでもある。
6−1 「なやし」工程を「擂潰」工程に転換
当該漆精製は、従来の「なやし」工程に代わり、擂潰機による「石川式(自動乳鉢方式)」を採用している。
6−1−1 石川式(自動乳鉢方式)の基本原理
石川式の基本原理は以下の通りである。
- 擂潰機は、乳鉢と乳棒(二本)で構成され、乳棒は二重回転構造になっており、乳棒が乳鉢内を側面に沿って上下しながら回転運動する。乳棒自体も自転回転しながらエピサイクロイド軌道を描く構造である。この動きにより、材料(生漆)のエマルジョンをムラなく微細、均一かつ均等に攪拌する。
- エピサイクロイド軌道は、鉢中心から外周に向かって軌跡を描き、外周から鉢中心に向かって軌跡を描くため、乳鉢内の材料を効率よく攪拌することが可能である。
- 生漆(濾味漆)の粒子サイズは10μmから数十μmであるが、擂潰後の粒子直径は擂潰時間は15分単位、30分単位で設定することによって粒子径を1〜0.05μmまで微細化できる。
- 稼働時間をパラメーター化することで漆の粒子サイズを規定値サイズに制御でき、これによって品質の標準化を可能にした。
6−1−2 石川式(自動乳鉢方式)擂潰の利点
石川式の利点は以下のことにある。
- 従来3時間程かかっていた作業時間が30〜60分に大幅に短縮できる。
- 漆粒子サイズが均一かつ均等で品質が安定した漆が得られる。
- 熟練職人でなくても一定の品質を保てる。精製職人から若手技術者でも作業可能である。
- 擂潰機によって、この工程の効率化と品質の安定化が実現された。
![]() |
図−1 エピサイクロイド軌道図 外サイクロイド |
6−2 「くろめ」工程をエバポレーター(減圧蒸留方式)に転換
この工程は漆樹液に含まれる水分(中国産漆で27〜30 %)を3%前後に除去するものである(※減圧蒸留装置は、東京理化器械製の「エバポレーター」を使用)。
6−2−1 減圧蒸留法の基本原理
減圧蒸留法の基本原理は以下の通りである。
- 液体の沸点は圧力が低くなると下がる性質を利用して漆の水分除去を行うものである。水は常圧では100℃で沸騰するが、減圧下では25hPa/20℃前後で沸騰する。減圧蒸留方式においては生漆を減圧圧力(25hPa)・低温(35℃)で水分除去する。35℃では漆成分のウルシオール、ラッカーゼ酵素、ゴム質などは沸騰せず、また熱劣化することなく水分のみを除去できる。
- 減圧蒸留装置(エバポレーター)に
- 減圧圧力
- ウォータープール(WP)温度
- フラスコ回転数
- 初期温度
- 減圧圧力時間
- 冷却温度のパラメーター値
6−2−2 減圧蒸留装置(エバポレーター)の処理工程
エバポレーターを用いた減圧蒸留により、以下のように精製処理を行う。
- 減圧蒸留工程は、生漆(濾味漆)を減圧フラスコに投入し、WP温度(設定値℃)、減圧圧力(設定値hPa)、回転速度(設定値回転数/s)で規定時間攪拌する。
- 減圧蒸留の時間は、パラメーターの設定で水分量が3%になる減圧時間が決まる。減圧時間は、生漆に含まれる水分量と水分量3 %の差によって求める。中国産漆、国産漆、ベトナム産漆によっても異なる。
- 減圧蒸留装置のパラメーターは、精製する「透漆の使用用途」品質毎に設定値を定める。
- 減圧蒸留のパラメーターは、漆の種類、産地、品質基準、使用目的・用途によって値を設定する。
- この工程で生漆は、水分量3%の透漆となり透明感が増し、適度な粘度・光沢になる。
- 減圧蒸留下で気化された水分は、冷却管で液体になり回収される(漆還元水)。
6−2−3 減圧蒸留法の利点
減圧蒸留法の利点は以下の通りである。
- 低温処理のため、ラッカーゼ酵素の活性は維持され他の漆成分も劣化は少ない。
- 生漆の水分量は27〜30%であるが、減圧蒸留装置のパラメーター設定値によって水分は3 %に除去される。
- 従来6〜8時間かかっていた作業時間が1.5~2.5時間に大幅に短縮できる。
- 減圧蒸留・攪拌され水分除去された透漆は、精製基準である透明度・品質の安定性、再現性の高い高品質漆である(製造SOP:Standard Operating Procedure 基準で定めた品質)。
図−2 減圧蒸留装置(東京理化器械㈱エバポレーター)
東京理化器械㈱ウェブサイトより転載 https://ssl.eyela.co.jp/contents/rotaryevaporator/
7. 従来漆精製を「擂潰および減圧蒸留法」に製法転換した効果
漆産業は、漆木の種苗、植栽、育林を経て15年(国産漆)で漆樹液採取(漆掻き)が行われる。漆の精製は採取された漆樹液を塗料(精製漆)として使用できるように加工する最終工程である。この精製工程は長きにわたって製法転換がされなかった。そのため非常に低い生産性と品質のムラや劣等質があった。
- 新技術は、精製する透漆の品質をプロトコル化することで標準化し、水分量および粘度、光沢、硬化性のコントロールを可能にした。これにより、品質安定性、再現性を高めた。
- 新技術は、精製作業手順をパラメーター化することによって、製造工程の数値化、安定化、高再現性および作業の標準化を可能にした。これにより、製造工程の合理性、効率性を高め生産性の向上を実現した。
- 新技術は、精製漆の使用用途・目的の品質(粘度値・硬化時間値・光沢値・硬度値)をプロトコル化した精製漆を可能にした。
- 作業時間の短縮、効率化によって精製漆の生産コストの大幅低減を可能にした。
これらによって、販売価格を抑え消費者に高品質で安価な精製漆の供給を可能にした。
8.おわりに
当研究・実証実験および事業化は、岩手県奥州市の、いわて漆テック㈱(奥州漆研究所)で行った。研究・実証実験は及川秀悟氏(いわて漆テック㈱社長・日本伝統文化振興機構副理事長)、李福律氏(薬学博士・前釜山大学教授・元釜山大学学長)が行った。また全国の漆職人・漆芸家、漆事業者の方々、研究機関、県工業技術センターにご協力をいただいたことをここに感謝申し上げます。いま、漆精製新技術は岩手県奥州市のいわて漆テック㈱奥州漆研究所で事業化が進められて いる。
付帯資料・技術補足
使用機器および測定機器一覧
本技術の開発および実証実験において使用した主要機器は以下の通りである。
- 擂潰機:擂潰機(石川工業製)
- 減圧蒸留装置:エバポレーター(東京理化器械)
- 水分量測定器:メトローム社 カールフィッシャー滴定装置
- 光度計:デジタル輝度計/露出計TES-137
- 硬化時間測定器:インキュベーター
- 粘度計:BAOSHISHAN粘度計 回転式粘度計
- 生漆(濾味漆)
- 中国産漆(城口産漆)
- 国産漆(岩手県浄法寺産漆)
用語の定義と管理基準
本技術の標準化および品質管理において、以下の用語を定義し管理基準としている。
■製造管理における「パラメーター」とは、製造工程や製品の品質を左右する変数や条件のことを指す。
- 減圧蒸留工程の温度、圧力、時間、速度などの製造条件をいう。
- 擂潰工程の原材料の配合比率や投入量・機械の設定値(回転数、時間)をいう。
- 品質基準値(水分量・粘度・透明度など)はこれらのパラメーターを適切に管理・調整することで、安定した品質の製品を効率的に製造することができる。
■製造企画や商品企画における「プロトコル」とは、以下の意味である。
- 業務手順や開発する製品の製造・品質に関する規定・手順書を指す。
製品開発の各段階で守るべきルール(品質検査基準値・品質基準値など)、文書化した製造基準書、定量化および規定化した値などを言う。 - 品質管理や製造工程における標準作業手順(SOP)と同義である。
プロトコルを明確にすることで、業務の効率化、品質の均一化標準化、トラブル防止、部門間の円滑な連携が可能になる。
(2026年3月 いわて漆テック株式会社 及川秀悟/出典 日本粉体工業技術協会発行 粉体技術2026年3月号)

